テクノロジーの進歩は素晴らしいが、
テクノロジーが進歩しているという事実を認識しているか否かで、
その恩恵を受けられるかどうかは分かれる。
ま、当然のことだ。
私は昔小説を書いていた。
別にプロの作家じゃないし、原稿料が出るわけでもない。
それでも小説を書こうと思って、毎日PCに向かってせっせこせっせこと文章を書き連ねていた。
そのとき、私は古いWindowsXPマシンの中に入っていた古いMicrosoft wordを使っていた。
別に意図的にそれを使っていたわけではない。
それがたまたまPCに入っていて、しかもそれしかなかったら(それの使い方しか知らなかったから)、
それを使って書いていたわけだ。
PCは立ち上げに10分はかかるシロモノだったし、
wordも良く途中でフリーズして書いた内容が消えてしまうことも珍しくなかった。
だが、私はそれでもせっせこせっせこと文章を書き連ねていた。
保存することを忘れて2000文字ぐらい書いた後に、突然強制終了したときは、
とりあえずその場でビールのプリングを弾いたものだった。
今、私は主にテキストエディタで文章を書いている。
テキストエディタはいくつか使い分けているが(大抵は気分で使い分けている)
今このブログはMac環境で"mi"を使い、書いている。
特別カスタマイズしているわけではないが、
Emacsのキーバインドを適用してからは以前よりも親しみが湧いてきている。
(Emacs使い、というわけではないが、やはりMacを使っているとこのキーバインドは自然と手に馴染んでくるものである。)
おそらくWindowsXP + Microsoft wordの組み合わせ時代の私よりも
文章を書くスピードはアップしているはずだし、効率性も段違いのはずだ。
それはテクノロジーの進歩も当然あるが、それよりも前に、
私が道具(そのテクノロジー)の使い方を覚えただけのことだ。
こういうことがこの世の中にはたくさんあるように思う。
私がテクノロジーについて知っていても知らなくても、
時代はものすごいスピードで進んでいく。
その事実を認識できるか否か、それが重要なのだと日々通関する。
Amazonを知らなかったとき、私はジャン・ジュネの小説を買い求めて、沢山の本屋を探しまわったものだった。
いまではもうワンクリックで買える。驚愕である。
ちなみに初めて読んだ(書店で手に入れた)ジャン・ジュネの本は『ブレストの乱暴者』である。
初めて読んだジャン・ジュネの本、ということもあり、
文面にほとばしるその詩的でいながらも、圧倒的なまでに力のあるアクの強い世界観に、
当時の私は打ちのめされた。